🏯 熊本城 ー 二度の震度7を乗り越え、再び見学再開へ
歴史の重みと、復旧への祈りを込めて
2026年8月13日、地震被害を受けていた熊本城が遂に見学を再開しました。熊本城は、2016年4月14日・16日の「平成28年熊本地震」で震度7を2度記録し、更に2026年7月28日にも再び震度7の揺れに見舞われた、まさに”試練の城”です。
特に2016年4月16日の本震では石垣が大きく崩れ、城が崩れ落ちる寸前の状態にまで追い込まれました。その後、長い年月をかけて復旧が進みようやく元の姿を取り戻しつつあったところに、2026年7月の地震で再度石垣が崩落——。熊本城は、まさに「地震と共に歩んできた城」と言える存在です。
それでも、熊本の人々は諦めませんでした。そして、こうして見学再開の日を迎えられたことは、熊本城の歴史に新たな一ページが刻まれた瞬間だと思います。
🏯 加藤清正が築いた名城
熊本城を築城したのは、戦国武将・加藤清正(1562ー1611)。尾張(現在の愛知県西部)出身で、豊臣秀吉とは「双方の母親がいとこ同士だった」という説も残るほど、縁の深い家系でした。
清正が肥後に入ったのは27歳の時。若くして大名となり、治水・農政・築城に才能を発揮し、熊本城はその代表作として知られています。
熊本城の石垣は「武者返し」と呼ばれる反り返った形状で、敵が登りにくい構造になっています。しかし、地震の揺れには弱く、2016年・2026年の震度7の地震で大きな被害を受けました。それでも尚、清正が築いた城は完全に崩れることなく今も熊本の象徴として建ち続けています。
🏯 加藤家の後を継いだ細川家
加藤家は2代で改易となり、その後肥後に入国したのが細川忠利。忠利は豊前小倉上の城主であり、細川家は織田信長・豊臣秀吉・徳川家康という三英傑に仕え、戦国の荒波を生き抜いた名門です。
細川家の治世によって、熊本城は江戸時代を通して肥後の中心として機能し続けました。
加藤家と細川家——二つの大名家の歴史が重なり合うことで、熊本城はより深い歴史的価値を持つ城となったのです。
🚶♀️ 私が訪れた熊本城の記憶
私自身、熊本城には2度訪れたことがあります。
・中学3年の修学旅行
・短大卒業後、友人との旅行
どちらも楽しい思い出で、熊本城の堂々とした姿は今でも心に残っています。特に天守閣の迫力、城下の広がり、そして石垣の美しさ——。「名城とはこういうものか」と感じさせられる場所です。
だからこそ、地震で崩れた姿をテレビで観た時は胸が痛みました。そして今回の見学再開のニュースは、本当に嬉しい知らせです。
🏯 熊本城の完全復旧を願って
熊本城は、地震の度に傷つきながらも、必ず立ち上がってきました。それは、熊本の人々の誇りであり、歴史を守りたいという強い思いの表れだと思います。
復旧はまだ道半ばですが、「必ず元の姿に戻る」そう信じて支え続ける人々がいる限り、熊本城はこれからも力強く立ち続ける筈です。
私も、熊本城の完全復旧を心から願っています。そしていつか、また美しい姿を見に訪れたいと思っています。