🧓 老人の日に思う ー 95歳の母と歩んできた介護の年月

9月15日は「老人の日」。そして21日は「敬老の日」。日本では100歳以上の高齢者が初めて10万人を超え、しかもその約88%が女性だといいます。長寿国・日本の姿の数字として表れていますが、私にとって”高齢者”という存在は、統計よりもっと身近で、もっと重い意味を持っています。

なぜなら、私の母は昭和6年生まれの95歳。12年前から高齢者施設で生活をしているからです。

😭 17年間の介護 ー 父を私と母が支え続けた日々

私の父は61歳の時にくも膜下出血を発症しました。突然の出来事で、家族の生活は一変しました。
そこから17年間、母と私で父の介護を続けました。
介護というのは、「やってみないと判らない大変さ」「続けてみないと判らない重さ」があるものです。

父の介護が終わった時、正直なところ、私は心身ともに疲れ切っていました。
そんな中で、母の高齢化が進み、「次は母の介護が始まるのか」と思うと、胸の奥がずしりと重くなるような感覚がありました。

👵 入居を巡る葛藤 ー 「まだそんな年寄りではない」

母に高齢者施設への入居を勧めた時、母は強い口調でこう言いました。
「まだ、そんな年寄りではない」
その言葉には、長年家を守ってきた誇り、自分の力で生きてきた自負、そして老いを受け入れたくない気持ちが混ざり合っていたのだと思います。
しかし、父の介護を終えたばかりの私には、再び同じ生活に戻る体力も気力もありませんでした。
母の安全、私自身の生活、これからの人生。
色々なことを考えた末、入居してもらう決断をしました。

👌 便利な環境にある施設 ー 少しずつ「慣れ」ていく母

母が入居した施設は、自宅からバスで20分ほど。バス停の目の前にあり、周辺にはスーパーマーケット、商店街、病院、金融機関も揃っています。
午前9時から午後6時までは自由に外出でき、食事もスーパーや外食で好きな物を選べる環境です。

入居当初は「帰りたい」「落ち着かない」と不満を漏らしていましたが、半年ほどたつと、少しずつ慣れてきたようでした。

😖 それでも続くトラブル ー 交通事故、脱水、転倒···

入居してからの母の生活は、決して平穏ばかりではありませんでした。
 ● 交通事故に2回遭う
 ● 脱水症状で夜遅くに救急搬送
 ● 転倒して併設病院に入院
その度に、「もう寝たきりになるのでは」と不安がよぎりました。

しかし母は、驚くほどの回復力でなんとか日常を生活を送っています。
95歳という年齢を考えると、これは本当に奇跡だと思います。

🩷 そして今 ー 愚痴を聞きながら思うこと

私が母に面会へ行くと、いつも施設や介護士への愚痴を言ってきます。
「また始まった」と思いながらも、私はそれを聞き流しています。
本音を言えば、「もうやめてほしい」「聞くのも疲れる」と思うことがあります。

でも、愚痴を言えるということは、まだ母が”自分の言葉で世界を語れる”という証でもあります。
そう思うと、少しだけ気持ちが軽くなるのです。

🧑‍🦳 老いるということ ー 誰もが通る道

人は誰でも老いていきます。それは避けては通れない自然の流れです。
老いるということは、「弱くなること」ではなく、「積み重ねてきた時間を生きること」だと思います。

母を見ていると、老いとは”静かな強さ”なのだと感じます。長い人生を生き抜いてきた人の姿には、言葉では表せない深みがあります。

👩‍🦳 高齢者は人生の先輩 ー その重みを感じながら

老人の日にニュースを観ていると、「高齢者は人生の先輩」という言葉がよく使われます。
確かにその通りだと思います。
長い人生を生き抜き、戦後の混乱期を乗り越え、家族を支え、社会を支えてきた人達。

その背中には、私たちには想像できないほどの経験が刻まれています。
母と接していると、その重みを感じる瞬間が沢山あります。

💬 最後に ー 高齢者をどう向き合うか

老人の日に改めて思うのは、高齢者は私達の「未来の姿」でもあるということです。
介護をする側も、される側も、どちらも人生の一部。その関係の中に、人の優しさや絆が生まれていくのだと思います。